
面接で多くの人が抱える“ある悩み”
面接が近づくたび、こうした迷いを抱えてはいないだろうか?
- 経歴やスキル、少し盛ってもいいのだろうか?
- 本当の自分を出すべきか、それとも「理想の自分」を演じるべきか?
- アピールが控えめになりすぎて、評価されないのでは?
特に不器用で、正直な性格の者ほど、こうした問いに悩まされるものである。
そして、その答えを曖昧なまま本番に臨んでしまえば、評価を落とす結果となりかねない。
申し遅れました。
本記事の案内人、磯賀場 真我(いそがば まわれ)と申します。
かつて「使えないエンジニア」と揶揄された時期もあった私だが、
転職と海外赴任を経て、5年間で約600万円の年収アップを実現。
「もっと早く知っていれば…」と思う仕事のコツや、評価されるポイント、
遠回りのようで確実な「急がば回れ」の仕事術、年収を上げるために本当に必要な考え方と行動を伝えている。
以下の記事もあわせて読むことで、この記事や本ブログの主旨への理解がより深まるはずだ。
▶️ このブログの全体像(年収アップメソッドの概要)
▶️ 年収推移の実例(5年間で年収600万円アップの軌跡)
面接で“どこまで盛って”いいのか?
結論から述べよう。
ある程度のハッタリは「あり」である。
ただし、「現在の自分の延長線上」であることが条件だ。
私自身、エンジニアの採用面接に関わった経験がある。
履歴書を確認し、面接で話を聞き、採用の判断を下す。
そして実際にその人物と一緒に働いてみることで、「面接の内容が本当だったのか?」という“答え合わせ”ができる立場にあった。
その中で、例えばこんなケースがあった。
- TOEIC600点と記載していたが、実際にはほとんど英語を話せなかった
- 「○○のツールが使える」と語っていたが、実際にはかなりの低レベルであった
…といった具合だ。
だが興味深いことに、こうした “多少のハッタリ” は、必ずしも大きな問題になるわけではない。
なぜか?
採用側は、「現時点の完成度」よりも、「その人が将来、本当にそのレベルに到達するかどうかの姿勢」を見ているからである。
ハッタリとは、“嘘”ではなく、“自己成長への意思表示” であれば許容されるのだ。
むしろ、控えめすぎて自分を過小評価してしまう方が、大きな機会損失となりかねない。
ハッタリの「OK/NG」判断ポイント
判定 | 内容 |
---|---|
✅ OK | 努力すれば十分達成可能な内容(例:英語力やツール操作など) |
✅ OK | 自分の将来像として語れる内容(「リーダーを目指している」など) |
❌ NG | 明らかに経験していない仕事や実績を「やった」と語る |
❌ NG | 保有していない資格やスキルを「持っている」と記載する |
企業は “多少の盛り” があることも想定して評価している。
重要なのは、それが「努力すれば実現可能な未来」であること。
誠実な意欲の表明であれば、倫理的にも問題はない。
面接で重視すべき視点

採用側が見ているのは、「今のスキル」ではなく、「伸びる余地と姿勢」である。
実際、技術や語学力は、1~2年あれば大きく伸ばせる。
だが、人間性や姿勢は短期間では変わらない。
だからこそ、以下を明確に持って臨むべきである。
- 自分の“核となる強み”を語る覚悟
- 「未来の自分像」を自信をもって語る勇気
- 嘘ではなく、“努力によって実現する意思” としてのハッタリ
面接で失敗する人の共通点
面接で失敗する者には、いくつかのパターンがある。
- 「全て正直に答える」ことが誠実だと思い、アピールが極端に控えめ
- 面接官の目を見ず、淡々と履歴書の説明をするだけ
- 相手が聞きたい “未来のビジョン” を語らない
逆に成功する者は、「語りすぎるくらいでちょうどいい」くらいに堂々としている。
少々盛ったとしても、「あ、この人ならそこまで到達しそうだな」と思わせる熱量があるのだ。
「もし採用が決まったら、ぜひ○○をやってもらおうと思っている。」
と言われたときに、それが未経験分野だとしても、決してネガティブな回答をすべきではない。
「〇〇に関して未経験ですが、△△の経験を活かして、・・・」
のように、やらない理由ではなく、できる方法を提案すると良い。
あなたの ”取り組み姿勢” を確認するための質問であるかもしれないからだ。
【まとめ】「未来の自分」で語れ

- 面接では、“現在の自分”だけでなく、“未来の自分”を語れ。
- 控えめすぎると、誤解されて損をする。
- ハッタリは、努力と覚悟が伴えば戦略になる。
- 嘘ではなく、成長の意志ある「演出」が、控えめな者には必要である。
📢 磯賀場 真我からひと言
嘘をつくな、だが「理想の自分」を語ることは恐れるな。
面接とは、過去の自分を証明する場ではない。
未来の自分を、堂々と売り込む場である。
健闘を祈る